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今日は、この前、このブログの記事で書かせてもらったきのこ帝国ってバンドの歌について、また書かせてもらいたいと思います。
その歌は、「猫とアレルギー」。
このきのこ帝国、僕はメジャーデビュー前から応援させてもらっていたんですが、ひじょうに耳に、胸に、心に残るメロディーが特徴的でした。
この前感想を書かせてもらった「怪獣の腕のなか」でも思ったんですけど、最近のきのこ帝国の歌は本当に優しい切なさにあふれている。
大きく変わったのはやっぱり歌詞ですかね。優しさにあふれてる。
きのこ帝国の歌にかかわらず、心に響く、共感できる歌っていうのは、自分に重ねて聴いてしまってることがほとんどです。
この記事を読んでくださってるみなさんも、多くはそうだと思います。
そして、重ね方もひとそれぞれ。
いえ、歌によって違うから、歌それぞれ?曲それぞれ?そんな感じですよね、、、(笑)
「これは自分と同じだ」「これは自分の歌だ」って思って聴いてしまうこともあれば、
「そんなのありえない」「こんなの認めない」って思って聴いてしまうこともある。
僕にとってきのこ帝国は、「これは自分の歌だ」って思って聴いてしまうことが多いですね。つまり、共感して聴いているわけです。
きのこ帝国以外にもわりとマルチにいろんな音楽を聴くので、共感する曲はほかにもあるんですが、ここまでドンピシャにはまらせてくれるバンドもそうそうないですね。
僕は現在、関東の方に住まわせていただいていますが、こちらの出身ではないんです。
もともと別のとこに住んでいました。
けど、大学進学を機にこちらのほうに単身乗り込んできました。
地元には好きな子がいました。
どうしても離れたくない。それくらい好きな子がいたんです。
付き合ってたわけじゃなくて、完全に僕の片思いだったんですけどね(笑)
オレには、夢があったんです。どうしても叶えたい夢が。
その夢を叶えるために、今すんでいる、この町にやってきました。
人に話すと、いつも鼻で笑われます。
叶うわけないと言われます。
馬鹿にされます。
僕自身、叶えられる可能性はほとんどないと思っています。
でも、あきらめようなんて微塵も思っていません。
諦めたら、それは今までの自分自身の人生そのものをすべて否定してしまうことになりますから。
いや、この話はそんなに今は関係ないですね(笑)
きのこ帝国さんの歌に、「桜が咲く前に」って歌があるんですけど、夢を追ってあの子と離れた自分には、この歌が自分のように感じられてしょうがないんです。
…ここまでほとんど「猫とアレルギー」について書いてないですね(汗)
長いので今日はこの辺で。
猫とアレルギーについては、また明日、いや、後日、、、。
どうも、中村一樹です!!
今日は好きな歌の感想を書いていきます!
アイアンバイブルを聴いた感想をこの前書いてた時点で、僕がRADWIMPSさんを好きなのは大体お分かりいただけてるんじゃないかなーとは思うんですが、
改めていっておきますね。僕、RADWIMPSさん大好きです!!!!www
まあ僕は雑食なんで、好きなアーティスト、歌手はめっちゃ多いんですけどねw
とまあさておき、今日はラッドの「リユニオン」について語りたいと思います。
もう自己満足って言われてもかまいません。
今日はひたすらリユニオンについて語りますwww
リユニオンの意味、分かりますか?
リユニオン、リ・ユニオン。
つまり、再び繋がるということ。広くとらえると、再会、ということでしょうか。
友達の意味ってなんですか?
あなたは簡単に答えられますか?
僕には無理です。言葉で説明したことなんて、ないですもん。
けど。
もしもこれが友達じゃないというのなら、もう友達なんて必要ないし、その言葉の意味なんて、どうでもいい。知らなくていい。
そんな人が、あなたにもいますか?
僕にはいます。
今でこそこうやってネット上でいろいろなことを発信していますが、
現実の僕は、ほかの人になかなか自分の考えを伝えようとしません。
一人で抱えようとします。一人で考えようとします。
大切なことであればあるほど、なおさらです。
でも、人ってそういうもんじゃないですか?
そして、そういうことを話せる人って、本当の友達のような気がするんですよね。
逆に、大切な友達だからこそ話せない、ってこともあるかもしれませんが…
本当の友達って、自然に付き合いが長くなるものなんですよね。
腐れ縁かと思っちゃうこともあって。
面倒に思うこともあって。
裏切るときもあれば、裏切られるときもある。
どうやって仲良くなったなんかとっくの昔に忘れた、、、
でも、仲良し、それが友達。
改めていうことなんてめったにないけど。
あなたにも大切な友達がいるのなら、この歌を聴いた際に言ってあげたほしい。
「お前らいい友達だよ」って。
友達だからお互いの夢にも口をだす。
大口たたく。遠慮なくものをいう。
けど、口でなんだかんだいいつつ、心の中では変わらない想い、俺はお前に、夢をかなえてほしい。
それが俺の夢だから。
自分以外の人のために夢をみる。
その姿を応援したい。
ほんと、美しい友情だと思う。
この歌に歌われるのは、
友情、愛情、そして、とらえ方にもあるけど、プライド。
ずっと仲良くしていきたい友達がいた。
そいつらと離れてでもかなえたい夢があった。
ばかげた夢なんて言えないほど、かけてる夢があった。
いつか、その夢も見れなくなるなら、その夢を見てた日々を青春と言おう。
そして、気づく。
夢破れたそのときに気づく。
あの日、あいつらとともに過ごした日々が青春だったのだと。
歩いて、戻ろう。
あの場所へ。慰めなんて期待してないけど、あいつらはきっと、また一緒に笑ってくれる。
あいつらのもとへ戻ろう。
そうやって果たした再会、リユニオン。
…これたぶん考えすぎですねwww
しかも文章支離滅裂ですしwww
読者のこともよく考えずにしゃべりつくしましたwww
すみませんwww
今日はこの辺で。
どうも、中村一樹です。
先日、RADWIMPSのアイアンバイブルを聴いた感想を一人で悦に浸りながらひたすら書いていきましたが、
またまた素敵な曲を聴いてしまったんで、その感想を書いていきますね。
聴いた曲は、きのこ帝国さんの「怪獣の腕のなか」。
きのこ帝国っていうバンドは、だいぶ前から知っていました。
好きなバンドさんのひとつです。
ロックバンドで、静かな曲調のときもあれば、激しいエッジを効かせた胸をえぐるような音をならすときもある。
僕の少ないボキャブラリーでどう表現すればいいか分からないんですけど、
たとえるなら、刃を常に懐に忍ばせている感じのロックバンド。
その刃は、ときに激しく、ときに切なく僕らの胸を突き刺します。
ただ、切なさにもいろいろありますよね。
このきのこ帝国ってバンドの歌詞には、いわゆる「優しさ」のようなものが欠けているなあと感じることが多々あったんです。
どちらかというと、厳しさというか、理想よりも現実、未来よりも過去や現在、楽しさよりも悲しさ、永遠よりも儚さ、そういうところに目を向けた、重きを置いているような感覚。そんな歌詞ばっかだと感じていました。
たとえば、(おそらく)きのこ帝国を一躍有名に押し上げた(であろう)曲、「東京」。
東京という曲には名曲が多いですが、これもまたその一角を担っております笑
この曲を聴いてもらえればなんとなくわかると思うんですけど、
優しさとか未来なんてそんなに感じない。
ただ、現実も悲しさも受け入れていこうとする、儚い強さを感じます。
そんで、メジャーデビューシングルとなった「桜が咲く前に」。
これには、きのこ帝国の「切なさ」がギッシリ詰まってます。
過去にとらわれ続けている人間の、悲しく、儚い生き様。
きっと離れたくない人がいた。ずっと、一緒にいたい人がいた。
その人となら生きていけたのかもしれない。ずっと。
でも、その人とともに時間を過ごしたその場所では、決して手に入らないものがある。それはなんなのか。
愛する人と離れてまで、望む未来を選ぶ必要があったのか?
それを悩み続ける一人の人間の歌詞です。
その切なさに、救いは見受けられません。少なくとも、僕には。
ただ一人でもあるいていくしかない。そんな決意が、少しだけ光を放ちます。
そんな切なさが溢れるバンド、きのこ帝国さんの歌ですが、
怪獣の腕のなかは、今までになく、優しさが溢れてる曲なんです!
聴いてめちゃくちゃ感動しました。
今すぐ聴いてほしいとはいいません。
この歌はきっと、いままできのこ帝国の歌を聴いてきた人に対しての優しさなんじゃないかと思います。
今まで僕らに現実を、悲しさを、儚さを説いてきたきのこ帝国からの、
優しい慰め、そう僕は感じました。
これからも応援したいバンドです笑
それじゃ、今日はこの辺で。
アイアンバイブル、意味知ってますか?
ていうか、そもそもなんのことか知ってますか??
そう、アイアンバイブル、RADWIMPSの歌の題名ですwww
この歌、僕、大好きなんですよね。
アイアンバイブル、直訳で、鉄の聖書。
鉄の聖書って、何が書いてあると思いますか?
そもそもなんで鉄の聖書だと思いますか?
紙の聖書じゃだめなんですかね…
紙の聖書、直訳で、ペーパーバイブルw
ちょっとダサいwww
冗談はさておき笑、
アイアンバイブルがアイアンバイブルでなくちゃならない理由、
なんとなく考えたいと思います。
僕が思うに、それは鉄だから。
木や紙じゃダメなんですよね。
なんでかって、腐ってしまうから。
雨にさらされ、風にさらされ。
インクで書いた文字はいずれ消えるでしょう?
でも、鉄に掘った文字なら、あるいは。
何年後か、何十年後かわからない。
けど、遠い未来にも、鉄の聖書なら残ってくれるのではないか。
もちろん、鉄も錆びます、朽ちます。
そううまい話でもないかもしれません。
それでも。
きっとこれは、今の時代だけをうたった歌ではないんです。
昔から、今、そして未来。
綿々と続く時間の川、人類の系譜。
そんな中で、残していきたいもの、伝えていきたいものを、この聖書に残そう。
きっとそんな歌。
昔の人が後世に言葉を残す手段って、しかも、かなり後に残す手段ってなると、
やっぱり石か鉄に掘るのが一番だったんじゃないかな。
だからやっぱり、この歌のタイトルはアイアンバイブルでなきゃいけないんですよね。
過去と今、そして未来に残していきたいものとして。
それに、鉄って、やっぱり崩れないものとしてのイメージがあると思うんだよね。
ほら、鉄の意志とか、鉄人とかいうじゃん。
聖書に書いてあることは、昔の人が後世に残したい、伝えたいと思ったこと。
それを途切れることなく伝えたい。
流れを崩したくない。
そういう意味で、絶やしたくない人類の愛の系譜を、“アイアンバイブル”って言ったんだと思うんだよね。
考えすぎかな??www
さて、そんな風に考えた今日この頃。
アイアンバイブルに書かれてあることは、ずっと残しておきたいこと、忘れたくないことでもあると思う。
そう考えたときに。
実は、僕にもアイアンバイブルがあります。
一冊じゃないですwww
何冊かあります。
それは、高校のときからつけている日記帳。
毎日つけているわけではなく、
一日二日、長いときには3,4か月も間隔があいてたりするけど、
それでも書き続けてきた。
そんな日記帳があります。
そのときどきでの自分の気持ちが綴られています。
何年も前から読んでいくと、自分が変わってきたのがよくわかります。
ただ、ひとつだけ変わらないことが、ずっと今まで書かれてきている。
それがなんなのかはまだ書けませんけどwww
…あなたにとってのアイアンバイブルはありますか?
そしてそれはなんですか?
それでは、今日はこの辺で。